システムをやられている方は、仕様書と聞くと何の仕様書だよって思うと思いますが、
大体、開発者が接点を持ち始めるのは、外部設計、基本設計とかその辺になると思います。

私の場合、概要設計を書いたら、外部設計に少し手を出します。
全体のインプットとアウトプットは何か…
オンラインで入力して、何を出すのが正解なのかを作って、その中身の過程を考えます。
どういう過程を踏めば、このインプットからアウトプットが出せるのか。。

今は設計書に関して、全体的に細かく、レビューで袋叩きに合い修正する。
これは、本来正しい姿なのですが、一昔前は仕様書はメモ書き、帳票レイアウトは出力項目だけ、
そんなのは当たり前でした。

なので、開発者の知識も経験値も必要でしたし、開発者の細かい気遣いや、これおかしいな?っと思ったら、サッと聞いて直しておいたり、自ら調べて「直しておきましたー」くらい能動的に動く必要がありました。

ただ、今は現在はどうでしょう?
能動的にそこまで気遣う開発者ってどれだけいるのでしょうか…

自分:これおかしいよね?
A君:何がですか?
自分:ほら、ここってこうなるのが正しくない?
A君:仕様書通りに作ったので大丈夫です。それなら仕様書を作った人に聞いてください。
自分:ほいだら、これってこうなるの正しいと思う(違う例を出して)
A君:違うと思います。
自分:それじゃ、戻るけどこのケースは?
A君:違いますね。でも、仕様書通りなので、間違ってないです。

っという、アホな会話がいくつも出てきます。
最後に違いますねと言いながら、間違ってないですってどういう事?と普通の人が聞いててもおかしな会話です。

仕様書も人間が作っていて、レビューで叩かれますが万能ではないです。
開発者もそこに気付いて、あれ?っと思ったらそのまま作らずにエスカレーションしてもらいたいものです。

気付かなかったら、途中で気付いた人の言葉を素直に聞いてエスカレーションをすべきだと、開発者に対して思います。
そのまま進んだら、大事故を起こして責任追及の場に出され辛い思いをするのは自分です。

しかし、大事故を起こさずに変な状態がどんどん出来てしまうケースもあります。
仕様書を見てもプログラムを見ても正しい…
けど、目に触れる人が見るとおかしい状態です。

これを正々堂々と「こういう仕様です!」っと言い切るバカがどれほど多いことか。

とある制度で、証券業協会と全国の証券会社に言いたい一つの制度があります。
お客様の目にも触れています。
でも、誤ったことをしているのですが、誰も気付かずそのままのものがあります。
恐らく、誰に聞いても「そういう制度です」という回答が来ると思います。

これは、金融庁と協会とそのワーキンググループがバカなのですが、何故その回りの証券会社が一言申し上げないのか不思議です。

そのスモール版が常に起きている。
仕様書も万能ではないですし、開発者も全てを知って万能ではない。
ただ、仕様書を書く側も、プログラムを作る側も気を遣うことを忘れてはいけないと思います。
それが全くないプロジェクトは、破綻してしまいます。

設計者もプログラマーも、お互いを尊重し合う姿勢が必ず必要であり、その姿勢を推進する中間のPMO的な存在も不可欠だと思います。
これから、そんなプロジェクトに関わることがあれば、まず姿勢から正す動きをしなければなりませんね。。

2020年に小学校でのプログラミング教育義務化は、皆さんご承知かと思います。
恐らく、夏休みの自由研究的な延長線になるかと思いますが…

皆さんがコンピュータに興味を持ち、テクニカルな部分が切磋琢磨され技術の底上げされることは、とても良いことだと思っています。

しかし、危険なことが一つ二つ出て来るのでは?っと危惧しています。
それは、設計書が書けない、読めないという事態が起こりうるということです。
例えば、設計書に「---,--9」と書かれていて、-1000を代入したとします。
すると表示は、「 -1,000」と前に半角スペースが一つ入り、-1,000と表示されます。

これが、「ZZZ,ZZ9」ならば「  1,000」となり、「¥¥¥,¥¥9」ならば「  ¥1,000」となります。

これだけで、ここには整数しか入らないという事が分かります。
しかし、そういう基本を教えるのか?っという疑問が残ります。
っというか、こういう設計書を作っても、マイナスが入るべきじゃないところにマイナスが容赦なく入ってくるので、ひっちゃかめっちゃかです。

それと、コンピューターってどうやって動いてるか基本的な事を知ってる人が少ないです。
CPU、メモリー、ハードディスク…
この3つがどう協力し合って動いているのか、、、
新人の頃は、コンピューターの5大要素は何だ?なんてよく言われていましたが、言える人って今の人たちはいるのかな?っと思います。

私はかれこれ10年くらいプログラムは組んでいないですし、そもそも今の新しい言語は分かりません。
COBOLという大型の汎用機で使われていた言語で、今ではオープンCOBOLなんいうのがありますが、全く組んでません。
4年くらい前に動くんだけどバグってるというのを調査したくらいです。

私は小さい頃からクルマが好きでした。
何でクルマが動くんだろう?っと4歳くらいで、ピストンがクランクシャフトとコンロッドを通じで上下運動して、そこにガソリンが入り、スパークプラグで点火した爆発をエネルギーにしているのは知っていました。

図鑑を見て、漢字が読めないので両親に読めない…っと言い聞きながら理解した記憶があります。

なので、何で動いてるんだろう?っというところから、学校教育では教えてもらいたいです。
そうすると、CPU、メモリーに負荷の掛けないプログラム作りをするようになると思います。

今はそういう勉強をしていないので、難しく行数の多いプログラムが多いです。
コンピューターも人間と同じで、短い文だと理解が早い(メモリーをそこまで使わない)ので、やはり処理スピードが早いです。

なので、なるべく簡単にコンパクトにプログラミングすることも覚えてもらいたいです。

昔は、ハードの資源がないので、1本で多機能なプログラムが好まれてました。
そして、インプット/アウトプットが早くなり、1本1機能で作るように変化しました。
その頃、30分掛かってたプログラムをちゃんとキレイに作り直したら5分で終わったなんてこともありました。

そこからオブジェクト指向というJAVAとかC言語が出てきて、部品部品で作成する。
同じ部品なら、一つ作れば使い回しというように進化してます。

プログラムは進化していますが、基本は何一つ変わっていません。
どの言語もコンパイルという文法チェックをすれば、コンピューターが理解するアセンブラという言語に置き換わり、そこから私たちが理解不能なコンピュータ言語に置き換わる…

そういう基本も何一つ変わっていないので、小学校の義務教育化だけではなく、全体的にそういう基本から教えて頂きたいなと思います。

表題の通り、本日は金融公庫融資が定量評価であるか、定性評価であるか発信したいと思います。

金融公庫が言う評価は、ぶっちゃけ定量評価しかしていません。
定量評価は、簡単に言うと返済出来るかどうか?
自己資産、親の資産、親戚の資産…
貸倒を防ぐだけにあると言っても過言ではないです。

では、スタートアップやシード期のベンチャーは、自己資金なしに融資は通るのか?
答えはNOです。

いくらいい事業計画書や売上計画、提携先を挙げて定性面を評価しろと言っても彼らには分かりません。
バカなのです。

何を見て定性評価をするかというと、公庫のフォーマットにある創業計画書と事業計画書で判断していると担当上司である某江〇支店の課長は言いました。

弊社は、とあるシステムを構築しています。
新しい施策もあるので、確実に今のシェアをこちらに持ってくる自信があります。
その60ページもある事業計画書は、計画なので実現の可能性があるんですか?や、需要はあるんですか?などの質問をします。

某企業は、その弊社より劣りますが、1万店舗ほどシェアを拡げています。
全体のシェアの数字も当然出しており、全体のシェアに対して44分の1しかシェアを取れていない状態です。

それだけシェアがあるという根拠や、他社比較、販売戦略などなどすべて記載していました。
私自身の経歴や、このシステムの応用で救急医療に役立つ可能性も秘めていることも話しました。

リリース後は、ここ数年私たちが勝つことは明白な状態を計画書上も事実上も作り上げています。

が、しかし彼らにはそれの意味がさっぱり分からない状態なんでしょう…
まして、経産省、中小企業省はベンチャーでお金が無かったら公庫を使いましょうと推奨しています。

ベンチャー企業が、資金ショートのリスクを感じて融資を申し込んでも無駄だということです。
コンサルにお願いして、自己資金がゼロ状態から上手く作り上げてくれることを祈って融資実行を待つだけです。

ただ、コンサルに公庫の国民の税金を融資することをお願いしていいものでしょうか?
1割、2割をコンサルに払わないといけなくなりますが、そのコンサル料って正しい使われ方でしょうか?

それ以前にそんな2枚の紙っぺらで私の定性評価をしてもらいたくないのが本音です。
私は有名な大学を出てるわけではないですし、そんなコネを使える人間ではありません。

ただ言えることは、今まで一生懸命なバカをやってきました。
必要なことは必要以上に徹底的に覚え、失敗にめげず、勝負するのは上の立場の人間と思い、ガンガン勝負してきました。
ただ唯一、愛嬌があるので敵は作らずに済みました。

定性評価はそういう面を評価するべきではないかと私は思っています。
積極性、コミュニケーション力などいろいろ要素はあると思います。

弊社のホームページは見ましたか?
⇒はい。
それでは、何が書いてありましたか?
⇒いえ、覚えていません。

そんなバカな回答をする課長が恐ろしいです。
正直、こんな人に評価されたくもないというのが本音です。
私は、そんなおバカな危険なベンチャーが救われない環境を是正したいと思います。
いや、是正しなければなりません。

これでは、ベンチャーを夢見て企業するなんて夢のまた夢の世界です。
なので、気付いた私たちが是正に向けて動かなければいけないのです。

是正するには大変なことになるでしょう。
しかし、そこから勝利を勝ち取らなければ、これからもずっと公庫からしたら下僕同然です。
下僕も戦い方を学び、コミュニケーションを取って戦わなければ勝てません。

私は、この戦いに絶対に勝たなければいけません。
そして、絶対に勝ちます。

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